新茶屋のご案内

新茶屋の歴史

新茶屋の創業は、安永年間(1772年〜1780年)頃といわれ、 現当主で九代目となります。初代は肴屋から家業を興し、やがて 料亭を始め一時は旅館業も兼ねておりました。戦時中の休業を経て昭和29年に料理屋として再開いたしました。


庭園

全席から眺望可能な本館一階大広間に面した470坪の庭園は、 前庭の樹齢数百年を経た老松が中心をなし、中庭の「心」という 字を形造った泉水のまわりには散策路が設けられております。 また後庭のねじり赤松は六代目の時代に盆栽より地植えして大切に育てられたものと伝えられております。


建物

現在の本館は、明治39年に落成した純和風建築となっております。1階大広間は、広さが135畳あり、お膳で150名、 テーブルで250名収容可能です。その他2階にも大広間や、小部屋を完備し婚礼や法事などの大人数の宴会から接待や結納など個室を 利用した会食などにも対応しております。 また結婚式などの使用目的で建設された洋室別館「ときわ」は、椅子席で150名まで収容する事ができます。


副島種臣(そえじまたねおみ)

明治24年(1891年)には明治の書聖と言われた副島種臣(蒼海)が逗留し、 その時当家の主人が毎日羽織り袴で丁重なるもてなしをしたため、「余、慈の楼に寓するは数日。主人の慇懃を謝す。 すなわち、此の語を書して、ここに為す。」と添え書きされた「鹿鳴」の書と双幅を書いてもらったというエピソードが残されています。


金峯在杯

宴席で、庭園の背景となる金峯山の山景が杯に映る優雅さを表し書にされた「金峯在杯」の額が、 大広間に掛けてあります。今、当店の杯には金峯在杯の文字が記されています。 松平穆堂 書